初めての投稿です。
なんていうと、なんだか「初めてのお使い」みたいで緊張しますね。
以前、「不思議ラブ」というブログをやっておりまして、わずか12回で更新が止まってしまったんですが、
そのサブタイトルが、「常識に照らし、常識を疑い、常識を超える」でした。
このブログも、その「常識に照らし、常識を疑い、常識を超える」をモットーにしましょう。
まず初めての投稿は、そのブログから、このモットーについての話題に触れた投稿がありますので、
それをちょっと引用して始めることにします。
【驚きの心】
この世は、常識がなくてはやっていけません。
また逆に、何事も常識ばかりでは進化はありません。
この世は、そんな2つの法則に支配されているのです。天体の運行など、未来の軌道が読めるニュートン力学と、
一瞬先も読めない量子力学が混在しているのがこの世です。サトリは、日常を超えた天から降ってきた知恵だという一方、
日常のなかで淡々と暮らしていることにこそ、サトリはあるともいわれます。いったい、どっち!?
面白いのは、人間は日常も非日常も楽しめるものだということ。
ルーチンワークの慣れも、スリル満点の冒険も楽しめます。
安穏もスリルも。
酸いも甘いも。
愛妻がありながら不倫(アバンチュール)だって。ただまあ、完全に情報(刺激)が入ってこなければ、脳は生きてはいけない。
ある程度のスリルは、脳への報酬です。
いくら負けがこんでも、バクチがやめられないのは、そのリスクがドーパミンなんかの
快感物質を出すからでしょう。センス・オブ・ワンダー(驚き・不思議な感動)がなければ、やっていけないのが人間です。
驚きのあるところに、「なぜ?」(Why?)が生まれます。失恋もそのひとつ。
彼女に去られたとき、「どうしてなんだ!?…」と頭を抱えてさまよう街角の孤独のなかで、
哲学は生まれます。
求めても得られない人との別れに、人はこの世の不条理に気付きます。「ワンダー(どうして?)」といえば、60年代の名曲、【悲しき街角】ですね。
それでは、ここでちょっとコーヒーブレイク。
「常識に照らし、常識を疑い、常識を超える」
「♫ I wonder~」
では、デル・シャノンの懐かしの裏声で、甘酸っぱい気持ちを刺激されたあとで、
この話をもう少し噛み砕いてみます。
あらゆるものごとを、物質的な世界観・合理主義でまずは検証する。
つまり、古典力学のモノサシで、迷信や洗脳による妄想やインチキではないかと疑ってみる。
うまい話には裏があるものです。
こんどは逆に、量子力学的なモノサシで、実在だと思っている世界を、
たんに実在だと思っているだけではないかと疑ってみる。
奇跡もイノベーションも、常識(既成観念)のなかにはないわけです。
新たな発明は、常識をブレイクスルーしたところにやってきます。
私は、宇宙人の乗り物としてのUFOもあると思っていますし、オカルチックな怪奇現象もあると思っています。
人間は死んでも終わりじゃないし、魂としての存在があるとも思っています。
目に見える世界がすべてではないと思っているわけです。
物質の法則を超えた不思議な世界がなければ、なんてこの世は味気ないものか。
しかし、世の中には眉唾も多いですし、インチキ宗教もはびこっています。
オカルト現象や、奇跡現象もみなマジックでできるというのもまた事実です。
医者に見放された末期がんが治ったのも、頼りにした治療師や宗教家の奇跡の力ではなく、案外、
抗がん剤を止めて免疫力がアップしたせいなのかもしれません。
そのような理性的な目も持たなければ、だまされて、へたをすると身ぐるみはがされてしまうのが
世知辛いこの世です。
変わった現象に素直に驚くセンシティブな感性と、簡単にだまされない注意深い理性の目。
感性と理性、そういう2つの目を持つことが、とても大事です。
まずは、自戒をこめて。
ご無沙汰しちゃってごめんなさい。たのしいお話をありがとうございます。お陰さまで私も驚きに満ちた刺激的な毎日を送っています。またねー
ブログを開いたら、ぷん…、といい香りがしたので、
え? 気のせい?…なんて思ったら、
気のせいじゃなかったですね。
Oh,Iwonder!
まあ、ユリさんじゃないですか!
初投稿にユリさんからの初コメ、光栄です。
サイトは、内側の工事がまだ終わってなくて、フロントページの写真も換えなくちゃ、
と思っているんですが、なかなか手が回りません。
ユリさんも、刺激的な毎日なんですね。
また、お話を聞かせてください。
ユリの香りが鼻先に届く距離で…、
花粉でもいいですけど…、
( >д<)、;'.・ィクシッ なんていったら、ちょっとクシャミが。 花粉症じゃないんですけど。 オー、アイ、ワンダー!