創立2周年記念「開運座談会」

2015/06/25

創立2周年記念

 開運談義

西海惇先生(波動機器開発&製品化アドバイザー)
丹波道彦先生(気功ヒーラー&総合波動鑑定)
奥谷俊介(㈱ヒーラーズラボ 代表取締役)

開運は霊的磁場環境の整備から

奥谷 今月は、弊社ヒーラーズラボの創立2周年記念特別企画として、先生お二人に開運について
お話を賜りたいと思います。よろしくお願いいたします。
丹波 早いものですね。おめでとうございます。
西海 2周年記念を祝うことができて何よりです。
奥谷 ありがとうございます。
西海 きょうは開運がテーマなんですね。
奥谷 はい。会員の皆様の関心は、やはりなんといっても開運です。今後とも、開運に関する情報を
貪欲に収集し、ご提供させていただきたいと思っております。
丹波 運をよくしたい、これは人類不偏のテーマですね。しかし、一口に開運といっても、なかなか
これは難しいテーマです。神社やお寺なら御札でも出していればいいのでしょうが。
西海 簡単に幸運を手にする方法が発見されれば、ノーベル賞がいくらあっても足りませんよ。
奥谷 では、先生には、ぜひノーベル賞をとってもらいたいと思います。
欲張りません。1つでいいですから。
西海 ではひとつ、がんばりましょう(笑)

開運祈願は安易な願いか

奥谷 しかし、開運祈願というのは安易な願いでしょうか。
西海 いやいや、そうは思いません。運をよくしたいという願いは、一億円が空から降ってきますようにとか、
宝くじがあたりますようにとか、万馬券が当たりますように、なんていう絵空事の他力本願より、
よっぽど健全ですよ。
丹波 そうですよね。
西海 仕事はバリバリやっているのに、どうも自分は上司に評価されないとか、例えばスポーツ選手なんか、
ふだんはいいタイムを出しているのに、ここぞというときにいつもガタガタになってしまうとか、
東大さえ楽に入れる偏差値なのに、受験日にかぎって熱を出して落ちてしまった、なんていう話が世間には
ザラにあるでしょう。
そういうのを運が悪い、不運、ツイていない、といいます。
奥谷 なるほど。
西海 日本人はたいがいマジメで、努力家が多いです。そのうえ謙虚なんですね。
「果報は寝て待て」「棚からぼた餅」なんて、言うのは好きでも、じっさい寝て待っている人はいませんよ。
「一所懸命やっているおれの仕事がもうちょっと評価されてもいいのに」という嘆息がほとんどでしょう。
奥谷 そうですね。みんな勤勉ですね。あんなに汗水流して頑張ったのに、おれはツイていないなあ、
いつも貧乏くじばっかり引いているなあ…、なんていうのはよく聞く話です。
西海 願うのは、しっかり自分がやっていることが、いつもきちんと評価されることなんですね。
さらには、少しは過大評価されてみたいもんだと。
奥谷 庶民的ですねえ。
西海 でも、そういう評価がちゃんと得られず、逆に仕事もちゃんとできない、ちゃらんぽらんなヤツが
出世してしまったりするというのが、これまた世間なんですなあ。
丹波 そういうのを運のいいヤツ、ツイているヤツ、といいます。
奥谷 不条理ですね。
西海 そう、その不条理。同じ努力や仕事をしているのに、一方は評価され、一方は評価されない。
女優のオーディションに友だちを誘って行ったら、自分は落ちたのに、ただの見学だった友だちが、
たまたまそこでプロデューサーにスカウトされてしまうといったたぐいのシンデレラ物語がよくありますよね。
奥谷 ええ、あります、あります脚本家だったらとても書けないような、よくできたウソ臭い話が起こるのも
また現実なんですね。事実は小説よりも奇なり、と。
西海 不条理だけではなく、そんな偶然の幸運(ラック)もまた世間では少なからず起きます。
乗るはずの飛行機の時間に、たまたまトラブルに巻き込まれて乗り遅れたら、その飛行機が墜落して
全員死亡とか。ちょっとした運命のイタズラで、命拾いしたという例は枚挙にいとまがないです。
まさにこれこそ、幸運の女神の真骨頂なんですね。誰しも、幸運の女神には嫌われたくないでしょう。
奥谷 それどころか、女神さんの好きなものを貢いで気を引きたいです。
丹波 運をよくしたい、というのはさほど真剣な祈願にならない半面、半分は切実な願いなんです。
奥谷 つまり、自分が何もしていないところに、突然遺産が転がりこむようなうまい話よりも、
自分の能力や努力が、もっとうまく世間に評価されたい、そういう意味の運をよくしたい、
さらには高所から落ちても、たまたま通りがかったトラックの荷台の干し草の山に落ちて傷ひとつない
というような、そんな幸運を求めるのは当然というわけですね。
丹波 そうそう。なにも打ち出の小槌がほしいといっているんじゃありません。
開運を求めるのは、庶民の願いとしては健全ですよ。
奥谷 べつに強欲な話じゃないんですね。

幸運の女神を飼い馴らせ

西海 幸運の女神は、じゃじゃ馬みたいなもので、こっちが自信をもって命令してよく飼い慣らせば、
一瀉千里(いっしゃせんり)の名馬になるといわれています。
奥谷 幸運の女神を飼い慣らすんですか。
西海 女神とはいえ女ですので、強い男の鞭に従います…、というのは冗談ですが。
運といえば抽象的ですが、運勢といえばわかりやすいでしょう。
奥谷 好不調の波ですね。バイオリズムというか…。
丹波 宿命は変えられないけれど、運命や運勢は変えられますからね。
西海 でまた、運勢をよくしていけば、運命もよくなっていくんです。
奥谷 なるほど、開運法といえばえらい難題でも、運勢といえばなんとなく生理学のような、裏ワザで
操作できるみたいに身近になる気がしてきます。
では、その方法は? という話になりますが。

場の問題

西海 アプローチは色々あります。このところずっと私が研究していたのは、場、すなわち生活空間の
改善です。これをよくしないと始まりません。
ごく卑俗な言い方をしますと、例えばね、いま住んでいる土地がかつての刑場だったとか墓だったとか、
古戦場で無縁仏が埋まっているとかの、死者の怨念の波動が残っているようなところでは、そこに常時
身を置いていれば、その生命力が削がれるんです。植木だって枯れますよ。生命力が削がれるんだから、
運気だって削がれてしまうんです。
そういう不吉な場所に住んでいた人が、病気になったり会社が倒産したり、なんていう例を沢山見てきました。
そういう人たちが、その土地を離れて引っ越ししたら、また元気になって経済的にも復活した例をずいぶん
見てきたわけですね。
丹波 霊的なケガレチみたいなものですね。
奥谷 楢崎皐月「イヤシロチ・ケガレチ」の話ですね。土地には生命にとってプラスになる「いい場」と、
マイナスになる「悪い場」があるという。あれはなんらかの電気的な特性を持つ場の話でしたが。
土地に染み付いている死者の残存思念といえば、私たちにはわかりやすい話ではあります。
丹波 いわく因縁つきの土地、というわけですね。
西海 邪気の悪い波動のある土地ということですが、私はそういった一定の土地や家屋が持つ固有の波動を、
手っ取り早く磁場と表現しています。
奥谷 磁場ですか?…
西海 ええ。そういう霊的な場だけなら悪因縁の土地とでもいうんでしょうが、それだけではありませんので。
ケガレチの電気的に悪い環境や、高圧電線下のような低周波の電磁場もあるわけですから。
土地建物の場は、霊的、風水的、静電気や電磁場、化学的な様々の条件が複合されているんです。
奥谷 化学的といえば、いま東京で豊洲に築地市場の移転工事をやっていますが、あの土地は土壌汚染
されていたということで、土の入れ替えをやらなくちゃいけなくなって大変だったみたいです。
西海 そうそう。工場の跡地で、鉛や水銀、六価クロムが検出されたんですね。
あれはモロに化学的な毒物だから科学的に悪いと断定できるし、それなりに物理的な対処もできるんです
けど、目に見えない、科学的には検知できない悪い波動というものがあるわけでしてね。
そんな悪い場所では、原因もわからないまま、したがって対処もままならず、ジワジワと知らないうちに健康が
害されることになるんです。
幸運の女神なんてまず寄り付きませんよ。
丹波 少なくとも、神道の神は不浄を嫌うので、寄り付きません。
奥谷 霊的なケガレチは、霊的磁場とでもいいたいところですね。少なくとも、生活の場が、そういう悪い波動の
環境下では、まず運勢は削がれるということですね。
西海 電磁場の「電」と「霊」というのは、科学と迷信みたいで、相容れないはずなのに、どっちも「雨」が入って
いるでしょう。
奥谷 ああ、そういえば。いまにして気付きました。
西海 その「雨」というのは、空間に漂う微細なエネルギーを表していると思うんです。
奥谷 電気も霊も、微細なエネルギーでできていると。
西海 というか形状化されないエネルギー体、固体として形をとらないエネルギー波動なんですね。
丹波 要するに、「気」です。
奥谷 なるほど。
西海 ビリビリするのは電気で、ゾクゾクするのが霊気なんです。

開運も機械化の時代に!

奥谷 では、そういう土地の改善法の話になりますが――。
丹波 そういう悪い土地には、埋炭といって、炭を埋めたり敷き詰めるという方法があります。
奥谷 マンションなら無理ですね。
西海 悪い磁場をよくし、幸運を招くにはどうしたらいいか? しかもそれをできるだけ簡単に、
というのが長年の私のテーマであり、これまで製品もいくつか発表してきたわけですが、
最新作の「テラフォースΩ」はぜひお使いいただきたいと思っています。
場をクリーンにするということは、それによって環境がよくなることですから、そこに住んでいる人は、
目に見えない重石が外れて、心身が健康になって幸運力も増してきます。
それだけではなく、環境浄化に対する感謝を地球からもらえるんです。
奥谷 ほう…。
西海 仏教的にいえば、いわゆる徳を積むことになるので、幸運の女神も応援してくれます。
ということで、これは「紹運機」になるんですね。
丹波 開運マシンですね。
奥谷 土地の悪い気を掘り返して浄化し、幸運の地ならしをすると。まさに幸運の耕運機なんですね。
幸運トラクターというわけですか。
西海 だったらもう、そのまま「幸運機」でいいじゃないですか(笑)
奥谷 なるほど(笑)
丹波 そうですね(笑)
奥谷 先生はかつて、「気は工業化の時代に入った」というキャッチフレーズで、気や波動の世界を
驚かせたものですが。あれは実にエポックメイキングだったと思います。
丹波 ほんと、あれには驚かされました。西海先生とのお付き合いは、そのときから始まったんです。
いまでも驚きの連続ですけどね。
奥谷 反発もあったでしょうが――。
西海 清新な風を吹き込んだんですよ。
丹波 波動の世界なんですから、波風起こしてなんぼのものなんですね。
奥谷 それどころか、こんどはついに「幸運も機械化の時代に!」ですね。
「ハッピーメイキング・バイ・ハッピーマシン!」
西海 いいですね。
奥谷 弊社としても、この「テラフォースΩ」をぜひ普及させていただこうと思います。
会員の皆様がこれからもさらに幸せが招かれますように、先生がたもさらなるご協力、
どうぞよろしくお願いいたします。

『人は死なない』を読む

東大医学部教授が語る霊の存在

『人は死なない』という本をチェックしました。

2年ほど前から、新聞の書籍広告欄に掲載されていたこのタイトルがよく
目にとまっていて、ずっと関心があったのですが、やっと目を通しました。

「人は死なない――ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」という
タイトルもインパクトがありますが、著者の肩書がまたすごい。
東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授
医学部附属病院救急部・集中治療部部長

帯にはこうあります。

神は在るか、
魂魄は在るか。

生命の不思議、
宇宙の神秘、
宗教の起源、
非日常的現象。

などとあるからには、これはチェックしないわけにはいきません。
どれどれと開いてみれば――、
肉体を超えた霊的存在を示す事例が記されているんだろうとの予想どおり、
いくつかのエピソードが紹介されていましたが、それらの霊的事例は、
TVをはじめとしたメディアで語られてきた話から比べると、とくに奇抜な
ものでもなく、そういう体験をよくする人や、その手の話が好きな人には
いささか物足りなく思えるでしょう。

さすがに、つのだじろうや稲川淳二のような劇的な話はありません。
ということで、ビックリするようなエピソードがあったらここに引用しよう
と思っていたのですが、それはできませんでした。

自分自身の子供の頃の交通事故や、大学時代の雪山での滑落などで
九死に一生を得た体験をはじめ、患者の不思議な体験の聞き取りや、
霊的存在を示す先人の文献が、誇張されることなく、静かに…、というより
朴訥に記されています。

それにしても、医療現場最前線の、人の生死に深く関わってきた現役医師が、
しかも開業医でもない勤務医で、それもまた東大病院の教授という
アカデミズム最前線の肩書の立場で、実に率直に、自身の体験に真摯に向き
合い、肉体を超えた存在を想定しなければわかりえない人の命の奥深さを
受け入れているのは、大いに傾聴に値いします。
だからこそ、多少話題にもなって版を重ねているのでしょう。

いまの肩書にとっては、そのような話を公表することは、叩かれることは
十分に予想できても、メリットはまずないはずです。
じっさい最近、患者に気功のようなことをしている怪しい医師、などといううような
週刊誌の広告の見出しを目にしました。まあ、読んでいないのでなんともいえま
せんが、気功ぐらいなら帯津良一氏もやっています。

亡き母親の降霊

もっとも、何かの宗教団体の信者で、その組織の広告塔になるとの思惑
でもあるなら別ですが。矢作氏に関するウラ取りはしていません。
『人は死なない』の本一冊をざっと読んだだけでの感想ですので、あしからず。

彼は「宇宙の摂理」を信じてはいますが、無宗教だと表明しています。
それは、「降霊」で言葉をかわした亡き母親とのこんな会話にも表れています。
もちろん、母親というのは霊媒を通しての「口寄せ」です。

「お供え物はしなくてよろしいですか?」
「ええ、要りません」と、母はいつもの調子できっぱりと言いました。
「私は摂理を理解しているつもりなので宗教を必要としていないから、
儀式らしいことを一切しませんがいいですね?」
「それでかまいません」
母は、大きく頷きました。生前の母は、弔いの形式などまったく意に介していなかった。

医療現場のなかでの体験より、プライベートの体験のほうが主に語られ
ています。キューブラー=ロスの臨死体験のような事例収集ではありません。
俗っぽくいえば、霊的世界に対する思索を持つようになったのも、もとを
ただせば、このお母さんからの血筋だったかもしれません。
本の最後にこう記されています。

寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、
という意味で「人は死なない」。私は、そのように考えています。

これはまったく同感です。
誰がいったのかはわかりませんが、そういえば、「人は死んでも人の記憶のなかで生き
続ける。人から忘れられたときに、人は本当に死ぬ」なんていう言葉がありました。
「不幸なのは捨てられた女ではなく、忘れられた女だ」なんていう言葉もありますが、
そんな文芸的な話ではなく、霊魂や魂魄という名称はともかく、肉体から独立して生きる
存在が、物理的にあるんだということへの思索が生真面目に語られています。

繰り返しますが、けっしてその内容は目新しいものではありません。
しかし、東大の現役教授として、ショーアップされるわけでもなく、まるで自費出版本
のような素朴な体裁で真摯に語られていることが、むしろ耳を貸すべき情報だと思います。
それ以上に私が関心をもったのは、次に示す自問でした。引用します。

ところで、霊魂は不滅である、つまり人は死なないとしたら、なぜ医療が必要なのでしょうか。
この世がこの世限りなら、いつ死んでもよいはずです。あるいは、もしひとの生があの世まで続くなら、
どうせ行くあの世にいつ行ってもよいと思う人もいるのではないでしょうか。
だとすれば、無理に医療などでこの生を伸ばそうとする必要はないのでしょうか。

もっともな自問です。自分としては医療を通して利他行為をしてくことが、自分の人生の目的の
ひとつだと語っていますが、「人にとって医療は必要なのか?」という疑問への答えはありませんでした。

霊界の宣伝マンなんていう人もいました

以前、かの丹波哲郎は「霊界の宣伝マン」と自称して、バラエティ番組などでことあるごとに霊界話を
していました。あの霊界シリーズ本はベストセラーになって、『大霊界』という映画までできました(残念
ながら未見ですが)。

そういえばずいぶん昔になりますが、この宣伝マンとして活躍されていた頃、西荻窪の丹波邸近くの
書店で、たまたま大先生を見かけたことがあります。
普段着で散歩のついでに立ち寄ったような風情でしたが、まったくTVで見るあのとおりの口調と抑揚で、
レジの店員に自分の本を手にし、熱く語っているのです。
「いやいやいやいや、こういう世界がだね、まさにあるんだな、これが」
まあ、そんな調子で。

この丹波大先生から比べれば、矢作先生は素朴なものです。
霊的な話は、昔からけっこうみな好きです。
ただ、この手の話は、リアルともファンタジーともつかない、たんなるスピリチュアル・エンタテインメント
にもなりかねないわけです。私たちは、そういう意味では、オカルトや怪談話が好きですから。
こういう科学者によって、客観的にコツコツと記述されていくことが、たんなる怪談でも心理現象でもない、
ちゃんとした物理現象であることの、リアル側からの宣伝(啓蒙)になるのだと思います。