お墓と成功法(1)

墓は作るなとシャカはいった

前回は『先祖供養の効能はホントにあるのか?』という話でした。
そういえば以前、ある雑誌の連載コラムに「お墓」を話題にしたことがあるのですが、
それをそっくりここで紹介させてもらうことにします。
自分で書いておきながら、すっかり忘れていました。

そこには――、世界には墓をつくらない民族もあるが、日本人は墓参りが好きな民族
だということ、墓石のデザインにも流行があり、いまの「方柱状石塔」は、江戸時代後半
に始まったものだ――などという雑学が披露されています。

お墓というと仏教だとすぐに連想するでしょうが、お釈迦さん自身は、とにかく修行して、
自分自身がブッダになれということを、口を酸っぱくして説いていた人なので、墓なんて
まったく意に介していないです。
お釈迦さんは、本当に、人間の肉体はただの魂の入れ物だという考えだったんですね。
遺体や遺骨が墓に埋葬されようがされまいが、魂の行く末は肉体を持っていたときの
生前の修行によるものだという考えでした。

ところが、自分が死んでも墓なんて作らなくていいというのに、遺骨が仏塔(ストゥーパ)に
祀(まつ)られて、仏舎利として信仰の対象となり、その仏塔は日本にまで建立されるように
なってしまいます。

宇宙に撒かれ地球に落ちる流れ星になりたい

私も散骨で十分だと思っています。できればロケットで重力圏外に飛ばされて、
一周忌ごろ地球に落下すればいいと考えます。
で、流れ星となって長い光跡を引くわけです。
その夜空の光芒が、病床の少女の目にとまるんですね。
「ああ、お星さま、こんどのクリスマスは元気で迎えられますように」
と、そんな祈りを叶える星になると。
なんていうなら理想中の理想です。
なんだか、オー・ヘンリーの小説にでもありそうな話ですが。
まあ、いうだけただですね。

墓の功徳

ただ、お墓や墓苑というのは、僧侶の供養とセットになって既得権益になっているので、
墓を建てることの功徳の宣伝は廃れないでしょう。

いや、功徳にはなると思います。
しかし、それは建立自体にあるのではなく、あくまで冥福を祈る人の「集中された祈念」
にあるのだということです。
功徳があるとするなら、死者の魂の冥福を祈るその「こころ」にあるわけですね。

ああ、カネがかかるなあ、こんなモノ建てることに何の意味があるのか、なんていう否定的な
思いで建てるなら、功徳、すなわち見返りも少ないでしょう。
もし墓参りで、祖先のおみたまにお願いごとをして、それが叶えられたとしたら、
それは霊界からの他力(助力)というよりは、自分の自力の思念が引き寄せたのだと
いうことです。

かりにもし、先祖が常日頃下界の祖先を守っていてくれているというなら、いままで
ご先祖さんは、どうして助けてくれなかったのか?
不慮の事故で亡くなる人もいれば、悪人にだまされて借金地獄に陥っている人もいます。
難病の子供もいます。善良な人間なのに、世の中には不運続きな人がたくさんいます。
先祖のいない子供は誰もいません。もし霊界から先祖が必ず子孫を守ってくれている
のだとしたら、この世に悲惨な出来事など起こらないはずです。

それなのに、この世は不幸が量産されています。
やはり、助けてください! という声の大きさ、潜在意識まで動員した思念の強さが、この世の
背後にある霊界の扉をノックしたのだと考えざるをえないのです。
「叩けよ、さらば開かれん」ですね。

成功を呼ぶお墓のカタチ

とはいえ、お墓がもし大きなピラミッドだったら、その前で祈る人の思念が増幅されて、
霊界へ届く祈りの力が大きくなるのかもしれません。

ピラミッドパワーというのは、たしかにあります。
ピラミッドパワーは、カタチが生み出すパワーの好例です。
あの正四角錐が、アカシャエネルギーとよく共振して、空間からエネルギーを汲み出すのです。
あのギザの、本家本元の巨大ピラミッドは、王の魂が冥界で豊かに暮らせるための、
魂強化の装置だということですが、何か別の効果や思惑があったのかもしれません。

日本の五輪塔は、そういうカタチのパワーを念頭においた墓の形状の1つです。
信長や信玄など、名だたる戦国大名の多くが、この五輪塔の墓石に祀られています。

成功を呼ぶ祈りの装置――「祈りの塔」を開発した

もし、墓の形状が、そのカタチによってパワーを発揮するのだとしたら、アカシャエネルギーと
よく共振する装置を作ればいいのではないか?
という発想は当然出てくるでしょう。
だとしたら、先祖の冥福を祈る装置として、すなわち自身の祈りの拡大装置として、
それは墓ではなく自宅に設置してもいいはずです。

先祖を祀る装置としては、墓のほかに戒名を祀る仏壇があります。
本来仏壇とは、本尊を祀ったもので、在家宅に設置された仏教の礼拝施設ですが、
一般家庭では先祖や家族の位牌を安置する設備(小祠)となっています。
信心深い日本人は、日々仏壇に供物を捧げ、その前で手を合わせます。
読経する人もいるでしょう。

仏壇はそもそも礼拝施設なんですね。
礼拝は、神仏などの霊的存在に対して、伏し拝むことをいいます。
それ(礼拝)は、へりくだったそのポーズをすることで、神仏への帰依を訴え、加護をいただこう
というものではありません。
あくまで、貴い存在を思い描くことで、思念を集中させて、祈念の現実化力を高めるための
瞑想導入の、身口意のポージングなのです。
その意味で、礼拝は精神集中をするためのものであり、仏壇は精神集中装置だとみなすのが
妥当です。

だとするなら、仏壇のかわりに、礼拝や祈念、瞑想をするときの思念増幅のための物理的装置
があってもいいだろうというのは、ごく自然な発想です。
わかりやすくいえば、脳波誘導のヘッドギヤみたいなものです。
じつをいうと、ヒーラーズラボはそういう装置をすでに作っているのです。
とはいえ、さすがにそれはヘッドギヤではありません。
信心はあっても、都会では仏壇がない家庭もあります。
そういう人たちのための祈りの増幅装置――「祈りの塔」です。

さて、コラムを紹介するつもりだったのですが、前置きが長くなってしまったので、
それは回を改めて掲載することにします。

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