山の成功波動

我が世たれぞ常ならむ

編集者の友人から、友人と二人で山へ行くとのメールが入りました。
以前から私も山登りを誘われているのですが、体力に自信がないのでずっと
断りっぱなしです。
その友人は、最近父親を亡くして、しばらくかなり落ち込んでいました。
メールには、一緒に山登りに行く相棒も6月にお母さんを亡くしたばかりなんだと
書かれていました。
私はとっくに両親を亡くしていますが、ずっと離れていて10年以上も顔を会わす
こともなかったという親不孝だったにもかかわらず、いざ他界されるとその喪失感
は実にきついものでした。

『国家の品格』で著名な藤原正彦も、父親の新田次郎を亡くしたときは、丸2年間
何も手につかず、父親が旅行して回った海外の国々を、そのままなぞって回る追想
の旅をしていたといいます。私もその気持がよくわかりました。
私も父親に逝かれて数年間はダメージを抱えていましたが、母親のときはそれ以上
でした。親不孝者でしたので、なおさらだったのかもしれませんが。

親の死、特に母親の死に、みなこんな喪失感を味わい、乗り越えているのかと思っ
たものですが、別の友人は、同居していた奥さんとのソリが悪く、その間に入って
実に辛かったので、母親に逝かれたときは、正直安堵のほうが大きかったと漏らし
て、ああ、そういうケースもあるのか…、人それぞれなんだなあ、と感慨深かった
ものです。

前回のブログで話したように、この世は無常です。
愛するものと死別すること。生老病死。生々流転。
この世は、無常以外の何ものでもありません。

山は何がゆえに貴いのか?

友人への返信メールはこんな返信をしました。
まあ、いつもふざけたメールを送り合う仲の、これも一種の言葉遊びなので、
ここは軽く読み流してください。
まずは、この間ここで話題にした本の話から入りました。

『人は死なない――ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』
という、東大附属病院救急医学の教授(矢作直樹)が書いた本が数年前から
話題になっていますが、学生時代、単独で雪山によく登っていたそうで、
雪崩とともに滑落し、九死に一生を得た経験が2度もあるそうです。
2度目の滑落で助かったとき、「もう来るな!」という声が頭に響いたそうです。
それから、山へは二度と足を踏み入れていないんだとか。

「山高きがゆえに貴からず」なんていう言葉がありますが、
では、何がゆえに貴いのか?
ヒマラヤはいうまでもないですが、高くて空気の薄いところには、
仙境をはじめ、異界に通じるトワイライトゾーンがあるような気がします。

そういえば、岳父とはいいますが岳母とはいいませんね、と書こうとしたら、
岳母もあったんですね。
でも、どちらかというと、母は海。
漢字の海の中には母がありますが、フランス語の母の中には海がある、というのは
聞いたことがあるでしょう? 三好達治の『郷愁』ですね。

――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。

母(mère)の中に海(mer)が含まれているという話です。

ちなみに、ヤマの反対はマヤで、摩耶(マヤ)夫人はお釈迦さんの生母ですね。
で、また、「マーヤー」は幻覚を意味します。
矢作直樹の天の声は、ひょっとして、ヤマを真っ逆さまに滑落したときの、
まやかしのマーヤーだったかもしれません。

山を愛し自然と同化する日本人

さて、「山は何がゆえに貴いのか?」という疑問は置いといて――。

一神教は砂漠でできた、といわれます。ユダヤ教をはじめ、キリスト教やイスラム教
はたしかにそうです。
それに対する多神教の日本には、アジアモンスーン地帯の、広葉樹林の豊かな自然
があります。自然の何ものにも、イノチの輝きを見出すアニミズムです。
草木悉皆成仏ですね。寒い冬もありますし、一年中裸で過ごせて、取り尽くせない
果物がなっている熱帯のパラダイスではありませんが、砂と岩だらけの荒野から比べ
たら、緑豊かな日本などパラダイスでしょう。

日本人ですから、日本賛美をしたくなるのは当然ですが、古代からの日本人が
掛け値なしに偉いなあ…と思うのは、里山を愛し、明治以来工業国として大発展
したのにもかかわらず、いまでも森林面積が70%もあり、清流がふんだんに流れ
ていることです。山への畏敬、自然へ同化する縄文の心がベースにあるからです。

大森林だった西欧の地は、伐採され尽くしました。牧畜狩猟民は、自然を略奪する
文化です。それも、自然はすべておまえたち人間が利用してよい、という旧約聖書
の神の言葉が背景にあります。自然を利用する対象として、人間を君臨させ、
傲慢にさせてしまいました。

中国もそうです。森林は伐採され、あちこちで赤茶けた山肌が無残に露出して
います。
あの国の、人権抑圧や全体主義体制は、内政問題ということでスルーしたとしても、
環境破壊は、地球全体に悪影響を及ぼすので、我が事として黙ってはいられません。
重金属にまみれた土地の汚れは川の汚れとなり、海の汚れとなり、砂漠のチリや
大気の汚れは、PM2.5 となって日本に飛来します。
南シナ海や尖閣防衛の前に、地球規模となりかねない環境破壊への防御が緊急の
課題です。日本人は、砂漠化防止のために無償で効率的な植林をしたり、水質浄化
のボランティアをしたりしていますが、政府が巨費を投じて動かなければ焼け石に
水です。

山の音(波動)

聖書が生まれたのは砂漠の荒野でしたから、あえて理想の天上世界(天国)の
プロパガンダをする必要があったのです。
一方、日本においては、その豊かな自然から、信仰を強要する物語の創作など
必要なく、ごく自然に、周囲の山々(自然)を畏敬し、そこに超自然の息吹さえ
見る感覚が本能的に備わっています。その超自然の息吹が、日本人にとっての
カミなのです。カミとはいえ、創作された一神教の神(GOD)ではありません。

青年期を山岳で修行した弘法大師空海は、こういっています。
「森の世界はこの人の世はもちろん、天上の世界にもない」
つまり、森は人間が考えだしたパラダイスより、はるかに美しいというのです。
現世肯定の空海だからというより、空海は現実の山林に荘厳さを覚え、多大な
リアリティを感知していたのでしょう。
一神教が掲げるパラダイスなど、豊かな日本の山を前にしたら、プラスチックの
箱庭に過ぎないというようなものでしょうか。

宇宙と一体、なんていう観念的なことをいう前に、日本人は、庭先の虫の音にも
共鳴し、自然と一体となる皮膚感覚をもっていたのです。
移ろいゆく自然の、もののあわれ。
「情景」という言葉があるように、自然の景色に情をナチュラルに重ねるのが日本
のこころです。俳句などはまさにその表現です。

古池や蛙飛び込む水の音

自然を眺め、自然と一体となるこころを五七五の短句にまとめて楽しむという
のは、日本人だけの感性です。しかも、知的階層だけではなく庶民までがそれを
たしなむなんて。
日本人は特殊で、虫の声を外国人が雑音として右脳でしか聴かないのに、日本人は
左脳で言語として聞くということですが、それは自然と共鳴する特殊な能(脳)力に
依るのかもしれません。

山に満ちる波動

『一神教の闇』(安田喜憲)という本にこんなことが書かれていました。

人間にとってもっとも好ましい音環境とは熱帯雨林であるという。
熱帯雨林は、人間が聴覚ではとらえきれない20キロヘルツ以上で130キロヘルツ
にも達する癒しの音、憩いの音に満ちあふれている。その中で人間が暮らすと、
その音環境が脳幹を刺激し、ストレスの解消や免疫率の向上など、さまざまな
効果が現れることが実験的に確かめられた。
それに対して、砂漠は静寂である。その静寂の砂漠の音環境は20キロヘルツ
以下の音に限られる。これに近いのは、私たちが日常的に暮らしている都市の
音環境である。都市砂漠とは、その本質をついた表現だった。その砂漠や都市
の音環境は、人間にストレスを加え病気を引き起こす原因ともなっている。

さらに昆虫バイオセラピーなるものがあって、PTSDの患者に鈴虫の鳴き声を聞か
せると、頭頂部でのアルファ波の発生が増加し、ストレスの減少効果が2倍になる
ことが確かめられているという話もありました。
葉擦れの音、川のせせらぎ、鳥や虫の鳴き声など、山の懐に分け入ると、都会の
緊張が緩んでいく情感を覚えるのは事実です。それらの癒しの空間に身をゆだねて、
山でリフレッシュされるというのは大いにわかります。自然と切り離されるのは、
それだけでストレスなんですね。

では、ゴツゴツの岩山をトレッキングすることでも癒やされるといいますが、
森林限界を超えた高地には何があるんでしょう? それはそれなりに、目には
見えない波動があるのだと思います。13万ヘルツよりも高周波かもしれませんし、
匂いや磁場なのかもしれません。あるいはテラヘルツのような、生理活性を呼ぶ
特殊な波動域があるのかもしれませんし、岩石から放たれる微妙な電磁波なの
かもしれません。また、その大気に秘密があるのかもしれません。

虚空蔵パワー

空海は私も畏敬する大天才です。
宇宙が波動であることを知悉し、空間から無尽のエネルギーを汲み出した人物です。
空海と波動については、今後のテーマにさせてもらうつもりです。空海さんには、
これからもちょくちょく登場してもらいましょう。
なんといっても、アカシャエネルギーの体現者なのですから。
一人洞窟にこもり、虚空蔵菩薩のマントラ――

「ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリ・ボリ・ソワカ」

これを百万遍唱え、アカシャエネルギーを身に取り入れ、潜在意識を活性化し、
求聞持聡明法という奇跡の法を成就した超人なのです。
このマントラのアキャシャはアカシャと同じで、虚空の意味です。
求聞持聡明法というのは、人の記憶力をコンピュータ並に増大させる法です。
空海は、これによって生まれながらの明晰な頭脳をさらに飛躍させたのです。
虚空蔵菩薩というのは、アカシャエネルギーを菩薩として擬人化したものです。
菩薩を擬人化というのも変ですが。

開運もアカシャエネルギーと同調させる波動装置で

結局、この世は波動なんです。
物質は、波動という目に見えない極細の網の中の、糸が密集した網目です。
現実を自分の思惑で作り変えたり引き寄せたりというのは、まさにその網を操る
ことです。それを行うのが潜在意識の縫い針なのです。

TVやラジオがどうして聞こえるのかというと、放送局から発信されている電波と
同じ周波数を発振することで共振し、その電波を取り込んでいるからです。
電磁波による放送や通信の受信はみな同じ。

アカシャエネルギーも同じです。アカシャエネルギーには、生命活性を促し、
さらには人の運勢まで活性化させるある特定の波動が含まれています。
その波動と同調する波動をこちらから発振してやれば、自動的にエネルギーが
流入します。
それが、ヒーラーズラボが開発する波動装置の仕組みであり、
「開運も機械化の時代に入った」という意味なのです。

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