「人は死なない」――川島なお美は何を見た

 哀悼

いささか古い話題になりますが、昨年9月、川島なお美(敬称略)が逝きました。
亡くなる2、3週間ほど前だったでしょうか、シャンパンのイベントに、やせ衰えた
容姿でTVカメラの前に登場したときには、腹水が5lも溜まっていたといいます
から、女優としてドレスアップした姿の覚悟の上の披露だったのでしょう。

腹水は、毎日、抜いてもまた5lたぶんだけ貯まる状態だったといいます。
その5lもの腹水を抱えて舞台に上がりましたが、17日の長野公演の開演前に
ついに限界を迎え、舞台降板、入院となります。

川島なお美といえば、『極道の妻たち』や『失楽園』以降、女優の肩書がついて
いましたが、私としてはずっと、女子大生タレントとしてデビュー間もない頃から
「お笑いマンガ道場」で活躍していた頃の、童顔のかわいらしいイメージがありました。
その印象が強いので、正直、女優としては違和感があり続けました。
かわいらしいタレント時代のほうが好きだったので、女優になってからの映画などは
あえて見てはいませんでした。

シリアスな演技でタンカを切るより、お笑いマンガ道場で、漫画家の富永一朗に、
「このスケベジジイ!」なんて、黄色い声で、コミカルなツッコミを入れていた彼女の
ほうがずっとサマになっていたと思います。

そのかわいい彼女が、『週刊プレイボーイ』でヘアヌードになったときには、慌てて
買いにいって、いまでも保存してあります。
小柄なカラダのわりに、均整のとれたプロポーションでした。
清純派のタレントが脱いだときに、「がっかりおっ○い」なんて評されたりすることがよく
ありますが、たしかにヘアも見える写真は、エロティックでありました。
でも、そのときはまだあのチャーミングな顔だったのです。

せっかくのかわいらしい顔が、いつのまにか鼻梁が高くなったのはいつだったのかは
定かではありませんが、なぜあんなふうに顔を変えなければならないのかと疑念に
思っていたところ、元々非常に強い女優志向があったという話を聞いて、いまにして
なるほどそういうことだったのか、とやっと得心した次第です。

だとすると、あの愛すべき童顔も、本人にしたらコンプレックスだったかもしれず、舞台
でもよく映える彫りの深い迫力のある貌を演出したかったのでしょうか。
努力家だったという話ですので、そこまで自分を彫琢しなければ気が済まなかったの
だとしたら、女優魂というか、それもひとつの修羅でしょう。

 川島なお美は何を見た

さて、以前このブログでとりあげた『人は死なない』という本のなかに、こういう話がありました。

人が死ぬとき、その臨終の間際で、それまで昏睡していた人でも、はっと目を見開き、
その目には確かな意識の光を浮かべて、何かを目にして気付かされ、納得した表情を
する、と。
著者の矢作直樹医師は、そういう人たちを沢山見てきたといいます。

川島なお美のご主人の鎧塚俊彦氏もまた、このような話をしていました。

臨終間際の床で、一瞬頭を起こした川島は、私の手を握り、強いまなざしで私を見つめた後、
はぁーっ、と魂を吐き出すように大きな息をついて意識を失った、と。
目を見開いたときは、確かな意識が見てとれたということです。

川島なお美は、十分に死期を悟り、女優として葬送される自分のことまで企画していたのだと
思います。
それよりも何よりも、こうやって臨終の様子が夫によって語られることこそが、最後の大舞台
ではなかったか――。
それは、『人は死なない』で書かれていたような、あの世の存在をストレートに訴えるものでは
ありません。けれども、少なくともあの本を読んだ人には、ああ、彼女もまたこの世ではない
何かを目にして「気付かされた」一人なんだな、と思わざるをえないのです。

はたして臨終の間際に目を見開いたのが、「図らずも」だったのか、あるいはそれさえも最期の
演出だったのか、それはわかりません。

さらに、息を引き取った時点で心肺は停止していましたが、鎧塚氏が彼女の名前を叫び続けると、
それに応えるかのように2度大きく息をしたのだといいます。
鎧塚氏は、昨年12月に出版された川島の手記『カーテンコール』の最終章『ラストステージ』で、
完成を見ずに逝った彼女に代わり、こう記しています。

「医学的にどうかは知りません。
ただ、私からの止まぬアンコールの声に、魂で応えたカーテンコールだったに違いありません」

この2度の呼吸については、たぶん生理的な反応であったかと推測します。
ただ、息を引き取る直前に目を見開いたとき、彼女が見たものは、やはりこの世の背後に続いて
いる、たしかな別の世の存在ではなかったかと思うのです。
〈了〉

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