『人は死なない』を読む

東大医学部教授が語る霊の存在

『人は死なない』という本をチェックしました。

2年ほど前から、新聞の書籍広告欄に掲載されていたこのタイトルがよく
目にとまっていて、ずっと関心があったのですが、やっと目を通しました。

「人は死なない――ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」という
タイトルもインパクトがありますが、著者の肩書がまたすごい。
東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授
医学部附属病院救急部・集中治療部部長

帯にはこうあります。

神は在るか、
魂魄は在るか。

生命の不思議、
宇宙の神秘、
宗教の起源、
非日常的現象。

などとあるからには、これはチェックしないわけにはいきません。
どれどれと開いてみれば――、
肉体を超えた霊的存在を示す事例が記されているんだろうとの予想どおり、
いくつかのエピソードが紹介されていましたが、それらの霊的事例は、
TVをはじめとしたメディアで語られてきた話から比べると、とくに奇抜な
ものでもなく、そういう体験をよくする人や、その手の話が好きな人には
いささか物足りなく思えるでしょう。

さすがに、つのだじろうや稲川淳二のような劇的な話はありません。
ということで、ビックリするようなエピソードがあったらここに引用しよう
と思っていたのですが、それはできませんでした。

自分自身の子供の頃の交通事故や、大学時代の雪山での滑落などで
九死に一生を得た体験をはじめ、患者の不思議な体験の聞き取りや、
霊的存在を示す先人の文献が、誇張されることなく、静かに…、というより
朴訥に記されています。

それにしても、医療現場最前線の、人の生死に深く関わってきた現役医師が、
しかも開業医でもない勤務医で、それもまた東大病院の教授という
アカデミズム最前線の肩書の立場で、実に率直に、自身の体験に真摯に向き
合い、肉体を超えた存在を想定しなければわかりえない人の命の奥深さを
受け入れているのは、大いに傾聴に値いします。
だからこそ、多少話題にもなって版を重ねているのでしょう。

いまの肩書にとっては、そのような話を公表することは、叩かれることは
十分に予想できても、メリットはまずないはずです。
じっさい最近、患者に気功のようなことをしている怪しい医師、などといううような
週刊誌の広告の見出しを目にしました。まあ、読んでいないのでなんともいえま
せんが、気功ぐらいなら帯津良一氏もやっています。

亡き母親の降霊

もっとも、何かの宗教団体の信者で、その組織の広告塔になるとの思惑
でもあるなら別ですが。矢作氏に関するウラ取りはしていません。
『人は死なない』の本一冊をざっと読んだだけでの感想ですので、あしからず。

彼は「宇宙の摂理」を信じてはいますが、無宗教だと表明しています。
それは、「降霊」で言葉をかわした亡き母親とのこんな会話にも表れています。
もちろん、母親というのは霊媒を通しての「口寄せ」です。

「お供え物はしなくてよろしいですか?」
「ええ、要りません」と、母はいつもの調子できっぱりと言いました。
「私は摂理を理解しているつもりなので宗教を必要としていないから、
儀式らしいことを一切しませんがいいですね?」
「それでかまいません」
母は、大きく頷きました。生前の母は、弔いの形式などまったく意に介していなかった。

医療現場のなかでの体験より、プライベートの体験のほうが主に語られ
ています。キューブラー=ロスの臨死体験のような事例収集ではありません。
俗っぽくいえば、霊的世界に対する思索を持つようになったのも、もとを
ただせば、このお母さんからの血筋だったかもしれません。
本の最後にこう記されています。

寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、
という意味で「人は死なない」。私は、そのように考えています。

これはまったく同感です。
誰がいったのかはわかりませんが、そういえば、「人は死んでも人の記憶のなかで生き
続ける。人から忘れられたときに、人は本当に死ぬ」なんていう言葉がありました。
「不幸なのは捨てられた女ではなく、忘れられた女だ」なんていう言葉もありますが、
そんな文芸的な話ではなく、霊魂や魂魄という名称はともかく、肉体から独立して生きる
存在が、物理的にあるんだということへの思索が生真面目に語られています。

繰り返しますが、けっしてその内容は目新しいものではありません。
しかし、東大の現役教授として、ショーアップされるわけでもなく、まるで自費出版本
のような素朴な体裁で真摯に語られていることが、むしろ耳を貸すべき情報だと思います。
それ以上に私が関心をもったのは、次に示す自問でした。引用します。

ところで、霊魂は不滅である、つまり人は死なないとしたら、なぜ医療が必要なのでしょうか。
この世がこの世限りなら、いつ死んでもよいはずです。あるいは、もしひとの生があの世まで続くなら、
どうせ行くあの世にいつ行ってもよいと思う人もいるのではないでしょうか。
だとすれば、無理に医療などでこの生を伸ばそうとする必要はないのでしょうか。

もっともな自問です。自分としては医療を通して利他行為をしてくことが、自分の人生の目的の
ひとつだと語っていますが、「人にとって医療は必要なのか?」という疑問への答えはありませんでした。

霊界の宣伝マンなんていう人もいました

以前、かの丹波哲郎は「霊界の宣伝マン」と自称して、バラエティ番組などでことあるごとに霊界話を
していました。あの霊界シリーズ本はベストセラーになって、『大霊界』という映画までできました(残念
ながら未見ですが)。

そういえばずいぶん昔になりますが、この宣伝マンとして活躍されていた頃、西荻窪の丹波邸近くの
書店で、たまたま大先生を見かけたことがあります。
普段着で散歩のついでに立ち寄ったような風情でしたが、まったくTVで見るあのとおりの口調と抑揚で、
レジの店員に自分の本を手にし、熱く語っているのです。
「いやいやいやいや、こういう世界がだね、まさにあるんだな、これが」
まあ、そんな調子で。

この丹波大先生から比べれば、矢作先生は素朴なものです。
霊的な話は、昔からけっこうみな好きです。
ただ、この手の話は、リアルともファンタジーともつかない、たんなるスピリチュアル・エンタテインメント
にもなりかねないわけです。私たちは、そういう意味では、オカルトや怪談話が好きですから。
こういう科学者によって、客観的にコツコツと記述されていくことが、たんなる怪談でも心理現象でもない、
ちゃんとした物理現象であることの、リアル側からの宣伝(啓蒙)になるのだと思います。