「お笑いセンサー」の効用と限界

限界

笑い続きで、もう一本。
笑いは、物事の正邪をはかる庶民の常識的センサーだということをずっと
話してきたわけですが、残念ながらそのセンサーはオールマイティーでは
ありません。

たとえば、政治において。
床屋談義といって、昔は床屋で政治談義をしたものですが、複雑で大量の
情報が錯綜するこの時代、世間話でラチが明くはずもありません。
各国の裏情報が絡み合い、騙し合い、出し抜き合戦が演じられている
国際ポーカーゲームにおいては、相手方の手の内の裏の裏の裏まで読み取ら
ねばならず、閣僚などは本来、極秘情報のかたまりであるはずです。
持ち手のカードを、うかうか外部にさらすわけにはいかないのです。

その腹まで探りを入れて論じるジャーナリストさえ読み間違えるというのに、
庶民などにはとても手の及ぶところではありません。
世間に降りてくる情報は、それぞれのマスコミの思惑に歪められた二次情報、
三次情報で、しかもそもそもデータが確かかどうかわからないのですから、
判断のしようがないのです。
判断しうるのは、せいぜい彼らのふだんの言行や風貌から、口先だけだとか、
腹黒さだとか、私腹を肥やしていないか――、などの漠然とした人物評価でしか
ありません。

精神世界系には通じる「お笑いセンサー」

それでも精神世界系には、案外、この笑いのセンサーは通じます。
カリスマ教祖や霊能者、スピリチュアリストなる存在には、最初から
かしこまる必要はなく、少しばかり笑いのネジを緩めて眺めたほうが
いいのです。それを別の言葉で、眉に唾をつけるといいます。

たとえば、教祖というのは、たいてい衣裳がきらびやかです。
それだけでもう、私なんか自然に滑稽感がわいてきてしょうがないのですが。

また、謙虚な人は少なく、まず尊大で過剰な自意識を持っています。
ほとんどが自分は人間以上の、神の化身だというようなことをいいます。
そこまでいわなくても、かつての偉人の生まれ変わりだとか、
なんとか菩薩や明王、なんとか大明神がバックについていると豪語します。

とくに笑えるのは、お釈迦様の生まれ変わりだという場合です。
輪廻転生を脱却した、すなわち解脱したのがブッダのはず。
かつて、ある教祖などは、冠を頭に載せて、「我こそはエル・カンターレ
なり!」と大宣言していましたが、もしそのパフォーマンス(映像)を目に
して失笑したのだとしたら、「お笑いセンサー」が正常に機能している証拠です。

オーラが強い人が貴いのではない

いや、うちの教祖はオーラが強いから本物だ、という信者さんもいるでしょう。
たしかに、何か威圧感を放っている人はいます。
威厳といってもいいでしょう。

けれども、ある人(Aさん)がこんな話をしていました。
その人もかなりの霊能力のある人のようですが、Aさんには大変信奉している
師がいました。その師の講演会で、ステージにAさんはじめ、取り巻きが何人か
並んでいたそうですが、それを客席で見ていた聴衆の一人から、その大先生より、
Aさんのほうがずっとオーラが強かった、といわれたというのです。

しかし、Aさんはこういいます。
いやいや、自分なんかたいしたことはない。オーラというのは、物質的な
部分から投射されているものであって、本当に霊性の高い人は、物質的な存在
から超越しているわけで、そのパワーはオーラには反映されない、と。

なるほど、面白い見解です。
そういえば、「オーラがある」という表現は、芸能人に対してよく使われます。
たしかに、芸能人には特別の華があります。
容姿のせいか、自信のせいか、メディアでよく見るスターという、こちら側の
心理が祭りあげているせいなのかはわかりませんが、なんとなくある種の威圧感が
感じられます。
そんな華や威圧感を一般にオーラというのでしょう。

でも、その本質的な霊性のレベルまでは、肉体にどっぷりと浸かっている
私たちには見抜けません。早い話、切った張ったのヤクザの大親分にも独特の
凄み(オーラ)があるということです。だからこそ、その迫力に幻惑され、
尊大であればあるほど、人は偉ぶり高ぶる教祖にだまされるのです。
山高きがゆえに貴(たっと)からず、人オーラ強きがゆえに貴からず、です。

専門分野ならお手上げ

見るからに疑わしいという人物はいます。
それは庶民の嗅覚でもわかります。そういうのはまず見た目でわかります。
たとえば近頃の例では、維新の党を除名された上西小百合議員、号泣会見で
話題となった野々村竜太郎県議。音楽分野ですが、佐村河内守氏もウソ臭さ
芬々(ふんぷん)でした。
では、もはやあの人はいま? の小保方晴子氏はどうでしょう。あの颯爽と
デビュー(!?)したとき、私たちの「お笑いセンサー」は働いたのか、働か
なかったのか。
あのSTAP細胞が本物かどうかについては、専門家でもないかぎり、まったく
判断のしようがなかったのですが、あのパフォーマンスをなにか胡散臭いと
思った人はけっこういたようです。

研究者のあいだでは、あのリケジョのパフォーマンスはともかく、小保方論文
自体に対しては、発表当初からネットに疑問があげられていました。
まあ、門外漢の私としては、専門家のやっかみもあるのかな、ぐらいにしか
思っていなかったのですが。
それでも、やはりどこか引っ掛かったのは、彼女のアンバランスな風貌だった
かと思います。もし、最近よくメディアに登場している東大卒の美人脳科学者、
中野信子氏ほどのかっちりとした端正さがあったとしたら、全面的に信じたん
だろうとは思いますが(蛇足ですが、彼女のサラサラヘアは、何か偽物くさい
なあ…と思っていたら、やっぱりあれはカツラで、その下の自毛は金髪に
しているんだとか! ロックが好きみたいです)。

それでも「お笑いセンサー」は見抜いた

本物か偽物か、その話題が持ちきりだったとき、ネットでこんなアスキーアートの
風刺画があがっていました。
アスキーアートというのは、いうまでもなく文字・記号で描いた絵です。
「顔文字」は、一行のアスキーアートというわけです。
複数行の複雑なアスキーアートをネットで見るたびに、いつも「こいつら、うめぇなぁ」
と感心していたのですが、そのなかでも、このアスキーアートは、スパイスがよく利いて
いて、舌を巻いたものです。何より彼女によく似ています。

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フランスでイスラム過激派のテロにあった政治週刊紙『シャルリー・エブド』
の風刺画より、ずっと上出来です。『シャルリー・エブド』の風刺画は下品で
面白味に欠けるのに、ともかくこちらは笑えます。
風刺としては、はるかにこちらのほうが上等です。

世間で、STAP細胞への疑惑が濃くなる以前、多少の胡散臭さはあったとはいえ、
もしそれが本物ならノーベル賞級ですし、本物であってほしいという気持ちのほうが
大きかったのですが、結局、この作者の笑いの直感のほうが当たったのでした。

どっとはらい。

笑いの効能

笑いの2つの効能

笑いの効能は2つあるという話をしました。
1つは、物事の善し悪しを判断するリトマス試験紙になること。
「これはおかしいんじゃないか?」と、直感的に首をかしげるときに出てくる笑いです。
「常識に照らせ」というのはそういうことです。
いくら王様だからといって、裸の王様を笑わないわけにはいきません。

もう1つは、邪気払いになることです。
笑いは「陰気」を払い、「陽気」を招いて貧乏神を払います。
それだけで、陽気の福の神がやってくる場が整います。
いや、それこそが迷信だろうという人もいるでしょうが、少なくとも笑えば免疫力がアップすることは、
生理学的にも確かめられています。抗活性酸素のビタミンCぐらいの効能はあるでしょう。
お笑いはココロのビタミンC――、なんて、ずいぶんありふれたコピーですが。

笑いのバリエーション

それにしても、笑いにも色々あります。
福を招くのは、アハハ…という愉快な笑いですが、それ以外に、照れ笑いやごまかし笑いがありますし、
「冷笑」や「憫笑」などの陰気な笑いもあります。そういうのはたいがい目が笑っていません。
人を蔑む冷笑や嘲笑はよくないですね。それは悪い気なので、相手ばかりか自分を傷つけます。

人のあきれた態度や言動に、思わず出てしまう「失笑」は、物事を判断するリトマス試験紙に通じるので、
冷ややかではあるけれども、これは別に悪いものではない。
「コンチク笑」というのは笑い顔で怒っている感じでしょうか。竹中直人が昔やっていたネタですね。
無遠慮にどっと笑う「哄笑」は、いささか下品な感じがしますか。

にこやかな微笑は、花が咲いている感じでいいです。本人よりも、まわりへいい雰囲気を醸し出します。
そうやっていつも過ごしたいものです。
含み笑いというのも、きれいなお姉さんにやられると、妙なホルモンが出てきそうです。
とくに美形の艶っぽい笑みは、「にほう」という言葉がふさわしいほど、蠱惑的なフェロモンを嗅がせ
られる気がします。そんなお姉さんは、虫を引き寄せる花なんですね。
人を惹きつける本物の花は、たえず笑っているのでしょう。

破顔一笑、呵々大笑。こういうのは健康的な笑いです。
拈華微笑(ねんげみしょう)という言葉がありまして、これはお釈迦様の謎かけに、弟子の迦葉(かしょう)
一人が気づいたという故事が由来で、以心伝心の笑いです。
おかしくて、くつくつ笑うというのも悪くはないです。
腹がよじれる、という表現がありますが、あれくらい大笑いすると、ほんとに何か爽快感があります。
鬱憤が晴れるというか。なんらかの健康ホルモンが出るからでしょう。
生理学的には、性的な快感と近いのかもしれません。

「生の」明るさ

某紙のコラム『ことばの食感』(中村明)に、こんな話がありました。

 里見弴の「椿」はこんな話だ。二十歳の娘と若い叔母が寝床を並べて寝かかっているとき、
近くでパサッという音がした。何の音か不明で二人とも不気味に思う。やがて、それが床の間の
椿の散った音とわかる。正体が知れてみると、怖がっていたのがおかしくなる。だが、夜も更けて
いて周囲の家もしーんと静まっており、大声で笑うわけにはいかない。堪らず漏らした笑いが
声にならずに波紋のように広がっていくようすを、作者は「笑いだした。笑う、笑う」、
「可笑しくって、可笑しくって、思えば思えば可笑しくって、どうにもならなく可笑しかった」と
反復によって女の息づかいまで読者に届ける。

こういう笑いも素敵です。

この小説を紹介していたあるサイトには、こうありました。
無邪気な女達の笑いは、世の中のどんな陰気で悲惨なことも覆すような『生』の明るさと躍動感に満ちている」。
そのとおりですね。短編ですが、小津安二郎の演出で映像化してほしかったものです。

白夜のラマダン

さて、ネットでこういうニュースを目にしました。このときもまた笑いがこみあげたのですが、
はたしてその笑いは、どんな笑いでしょう。苦笑か、皮肉な笑いか…。
少なくとも、健康的な笑いではありません。

ストックホルムAFP=時事】夏至の時期の白夜で知られるスウェーデンで、イスラム教徒が
18日前後に始まるラマダン(断食月)の対応に苦慮して いる。断食は日没まで行われるが、
白夜の期間は日没がないか、日はほとんど沈まない。どの時点で食事をするかが難しく、
スウェーデンや欧州のイスラム指導者が新たな指針の検討を急いでいる。

いまやイスラム教徒は、『アラビアのロレンス』や『風とライオン』で見たような、ラクダと砂漠の土地ばかりに
住んでいるのではなく、北欧にまで移住しているんですね。
断食は、朝から日没まで行われるのが決まりですが、北欧では日が沈まない白夜になるので、さあ、断食は
いつから始めていつ終わりにすればいいんだ? と頭を抱えているという話です。

本来、この断食というのは、ご飯もろくに食べられない貧しい民の苦しみを体験し、その苦しみを知ることが
目的だったはず。それを知ればこそ、貧しい人々に与える施しにも血が通うという趣旨です。
いまはたいがい、断食が明けたら、飲み食いのお祭り状態になるみたいなので、このラマダンも本来の意味が
すたれています。
これはイスラム教だけに言えることではなく、このような形骸化は、しきたりを重視する古今東西のあらゆる
宗教にあてはまります。
それがバシャールのいう、「地球人は制限の帝王だと呼ばれている」というゆえんなのです。

考えてみれば、ブッダもイエスも、世のしきたり、形式、常識から抜け出したヒッピーだったはず。
あらゆる束縛から自由になれと教える本家本元の師の教えのはずが、その弟子らが組織(ヒエラルキー)を作る
ことで、教えの本義は枯れ、形式だけが残っているという様に、本家カリスマらはさぞ苦笑していることでしょう。

笑いは、おはらい

福の神は陽気がお好き

ではこの辺で、「アカシャエネルギーとは何か?」というお話をしたいところなんですが、
それはもう少しあとにして、雑談を続けます。

かしこまって成功法なんかに取り組む前に、ふだんからできる心構えがあるんです。
けっこう、それが遠回りのようで近道だったりします。
昔から「笑う門には福来る」といいますが、あれは本当です。
こじつけていえば、アカシャエネルギーは、陽気な波動に感応して邪気を払い、
福を招く、といったところでしょうか。招福万来。
福の神は陰気を嫌います。
陰気が好きなのは貧乏神です。
これが仮に真理ではないとしても、湿気の好きなカビやダンゴムシならともかく、
ジメジメと恨んで泣いて、愚痴をいって暮らすより、明るく笑って暮らすほうがいいじゃないですか。
今回はその笑いの効能についてのお話です。

どっとはらい

「どっとはらい」という言葉があります。
物語の最後に「おしまい」とか「めでたしめでたし」といいますが、あの東北版です。
どっとはらいのほかにも、秋田では「とっぴんぱらり」があります。
地方によって、「とっぴんぱらりのぷぅ」、「とっぴんぱらりすったごだっごのぴい」、
「とっぴんぱらりさんしょの実」などとバリエーションがあるようです。

「すったごだっごのぴい」(笑)

8年前の某局に、『どんど晴れ』なんていう朝の連ドラがありました。
これは遠野地方の、「めでたし、めでたし」ですね。
本当にあったという怪談話を聞かされて、身も凍っていたあとで、最後にこんなおどけた
文句があったら救われます。
「すったごだっごのぴい」(笑)
まあ、いまでいえば、最後に「な~んちゃって」とでもいうようなものでしょうか。
ずいぶん前、「すったもんだがありました」なんて、CMで語っていた女優がいました。
さっき、『ヨルタモリ』で見ましたけど(ゲストの甲本ヒロトのブルースハープが素晴らしかった)。
「すったもんだがありましたが、そんなことはもう、すったごだっごのぴい」なんていう
心境だったんでしょうね。あのときのりえさんは。

笑いは空気を緩ませる

それにしても怪談話というのは、真っ昼間にしてもあまり怖くはありません。
さんさんと陽が降り注いでいるビーチなんかに霊なんていそうになくても、
深夜ともなれば、そこら中にいても不思議ではない気がするものです。
夜は怖い。

昼間には、作り話だろうと茶化して聞けても、それが深夜に聞けば、なんだか空気が
キシキシと音をたてて、目に見えない影が背後に迫ってくるような、いやぁな気配が
迫るのを感じてしまいます。

そういえば以前、深夜に鈴木光司の『リング』を読んでいて、
「うえぇ怖ぇ…」と背中がゾクゾクしてきて、なかなか面白かったんですけど、
途中で本を閉じてしまったことがあります。
夜は怖い。
そんな怪談話でも、ヒシヒシと空気が凍ってきたときに、そこで何かの拍子に誰かが
笑ったりすると、一気に場の空気の緊張が解けます。
笑いは、そんな凍えた空気をご破算にする効果があります。
いや…、大口開けて笑っていればいいのですが、体育座りで、抱えている両膝の間に
顔を埋めて、背中だけヒクヒクと動かしながら、長く笑いを引きずる髪の毛の長い女子が
いたりしたら、ちょっとそれもまた怖いですけどね。

取っ払う

山笑う、とは春の季語ですが、TVの業界用語にも、「わらう」があります。
ものをどかすとか片付けることをいうそうです。
ディレクターがADなんかに、「ちょっと、それわらって」と。
語源は不明ですが、「取っ払う」からきているという説があります。
「笑う」は、「取っ払う」です。

笑いも、笑いながら手を叩く(拍手)のも、これはお祓(はら)いではないかと思うわけです。
怪しい霊気を取っ払い、追い払うのです。
そういう力が笑いにはある。
笑いは、お祓いです。

パンドラの箱を開けたとき、あらゆる災厄が出てきたあとで、最後に「エルビス」だけが
残っていたという話があります。エルビスは、希望というのが定説になっていますが、
予兆や期待とも訳されます。そのエルビスが、「笑い」であってもいいと思うのです。

アダムとイブが楽園から追放されたときも、アダムはきっと笑いを持っていた。
手にマメを作って畑を耕しながら、それでもアダムはイブに、神さまのモノマネなんか
して笑わせていたのではないか。
「命の木の実を食べただと! まったくお前たちは、あれほど食うなといったのに!」
なんて、激昂する神さまのモノマネをしてみせるアダムに、イブは笑いながら、
「オー、マイ、ガー」
といったとかいわなかったとか。

笑いは権威の敵

笑いは、偽物を暴く常識のセンサーでもあるんですね。
笑いは、この世に生きる人間がみな持つ、オールラウンドのお守りです。
もったいぶった権威をこき下ろすのも笑いの破壊力です。

ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を原作にした同名の映画がありました。
謎を解決する修道士役のショーン・コネリーが相変わらず渋かったです。
舞台となった修道院では、笑いがご法度になっています。
やはり、神の権威を傘に着て、庶民を跪かせねばならない教皇以下の神父らにとって、
笑いは神をはじめ、その厳粛な権威をコケにする破壊力を持ちかねないということなのでしょう。

アリストテレスの笑いを肯定している本が、悪魔の書並の扱いで、修道院の奥深くに
秘蔵されているのですが、ショーン・コネリーが、その迷宮を探しまわって発掘するという話でした。
当時二十歳ぐらいの女の子と見にいったのですが、貧しい少女が若い修道士にまたがる
動物のような激しいsexシーンに、気まずくなった記憶があります。

庶民は権威を笑います。
もったいぶったものが、ちょっとしくじったりすると笑うのは人情です。
校長先生がけつまずいてコケそうになると、小学生でも笑います。

森公美子の霊体験

神を笑うくらいですから、人を怖がらせたい悪霊にとっても、笑いは敵でしょう。

芸能人というのは、霊感の強い人が多いようです。
まあ、そういう勘に鋭い人が、人気商売の芸能の世界へ入るともいえるでしょう。
スターというのは、何らかの色艶や婀娜(あだ)、妖しさを持っているもの。
舞台でオーラがあるというのは、何か過去の芸能関係の霊に憑かれているように思えなく
もありません。

オペラ歌手の森公美子は、霊体験をよくTVで語っています。
その一つに、急死した同郷の友人が、亡くなって日も浅いうちに出てきたという話があります。
なんとその友人は、霊となってこの世に現れるのは5つほど条件があるというのです。
まずは意志が強いこと。霊体となって現れるには、相当な集中力が必要なのだとか。
次に静電気がある場所が現れやすく、蛍光灯の下は好条件だとのこと。あとの条件は忘れました。
森さんが友人にお茶を飲むかと聞くと、東北弁で友人はこう答えたそうです。
「幽霊だからお茶飲まねぇ」

笑って手を叩けば柏手(かしわで)になる

独りでできるお祓いは、何より笑うことです。大声で笑うこと。
しかし、落ち込んで鬱々としているようなときには、笑うことさえできなくなります。
そんなときは、悪いものに気が同調して、邪鬼か何かに憑かれているのかもしれません。
それこそ貧乏神です。
笑えないなら、ちょっと立ち上がって、パンパンと、柏手を打つことです。
それができたら、明石家さんまのように、「こりゃええわ!」と手を叩いて笑ってみること。
それだけで、気のチャンネルが変わります。
邪気よ去れ。悪霊退散。
アホの坂田のマネをしろとはいいません、さんまぐらいならできるでしょう。
陽気のアカシャエネルギーが感応します。アカシャと握手ですね。

さてさて、話が長くなりました。では、このへんで。

とっぴんぱらりのぷぅ。