潜在意識に感応する樹木の気

 木のお医者さん 山野忠彦

ずいぶん前ですが、『Quark』という科学雑誌がありまして、「気を科学する」という
テーマで連載していたことありました。
そのなかで、「気の達人に学ぶ効用」というタイトルで、樹医の山野忠彦氏の話が
載っていました(1990年3月号)。なお、このシリーズは再編集され、後に講談+α文庫
から『「気」を科学する』というタイトルで98年に出版されています。

前のエントリーを書くにあたって、気功師の気を測定してどんなエネルギーが出て
いたかを確認するために、その文庫本を読み返してみたら、山野氏の話に目が止まった
のです。以前読んだはずですが、すっかり忘れていました。

樹医の山野忠彦氏については、きっと皆さんもご存じでしょう。
名前だけでは思い出さなくても、顔写真を見ればきっと、ああ、あのおじいちゃん、
と手を打つことでしょう。

「日本で初めての、木のお医者さん」とういことで、公共広告機構(ACジャパン)のCM
キャラクターとして、TVでよく顔が出ていたので。品のいいダンディな風貌は、
それだけでリスペクトものでした。
いまネットで調べてみると、98年に98歳で他界されていたんですね。大往生です。

このブログで、昨年、3連続で植物パワーについて書きましたが、文庫本で紹介され
いた山野氏の話はなかなか興味深かったので、ちょっと長くはなりますが、ここに転載
させていただこうと思います。

 木の生命力はヒトの気を高める

「木の葉はね、葉脈からオーラを発するんです。この力が人間の病気を消すんですよ」
そう語るのは、全国の巨樹や神木1000本以上を治療し、奇跡的な回復をさせた木の
名医――つまり樹医・山野忠彦さんである。
自然界の中でも巨樹はとりわけ霊が宿るといわれる。山野さんの治療術は独自の防腐剤や、
秘伝の栄養剤を使ったユニークなものだが、まやかしや妥協のない科学的な方法として
知られる。

治療にあたっては、木の肌に触れて樹の健康度をチェックする。手には数珠をたずさえ、
腐った部分を切り落とすときは、「絶対に殺さんからな、必ず治してあげるからな」と祈り
つつ、人間の患者を診察する医者のような気持ちで接する。そうやって樹齢1000年以上
の木に30年以上つき合っていると、木の不思議なパワー(「気」)を感じるそうだ。

最近では、神木の葉っぱを、いつも腹に巻いたサラシの中に入れている。山野さんが腹中
に常時入れている木の葉は、いずれも山野さんが治療をした樹齢数百年の御神木の葉だ。
この日見せてもらったのは、宮崎県の高千穂の天岩戸(あまのいわと』神社にある、樹齢約
1000年の広葉樹、御賀霊(おがたま)の木の葉。
「木の葉の力のおかげで、90歳の現在まで病気ひとつない」(山野さん)

他人にもすすめ、難病を治した例もあるという。
数年前、糖尿病が進み、ひどい眼底障害をおこした老年の男性に、山野さんは“ひとつ葉”
という草木の葉を与えた。
「その老人が、鉢植えしたものを居間や寝室に置いておいたところ、いつの間にか手術もなし
に失明を免れたんですよ」(山野さん)

つい最近でも、ある女性に「主人の妹がガンで明日をも知れない」といわれ、アカネという
植物の葉数枚を与えたところ、ガンの女性が小康状態をとり戻したという礼状が来た。
このアカネというのは東京薬科大のグループにより、強力な制ガン作用が含まれている
といわれたものである。山野さんは木と語り、木のパワーを直感的に感じることで、科学的な
手法で確かめられたものと同じ成果へ一気にたどり着いたわけだ。

「木と木は2000キロ離れていても互いに交信できるそうなんです。さる大国では木の超能力
をスパイ活動に利用しようと大まじめに研究しているといわれるぐらいですよ」
という山野さん自身、人間が木にたたられた実例を見ている。京都の平清盛邱跡地のクスノキ
がそれで、山野さんが治療をする前に、手入れをした6人の造園師たちが、原因不明の事故で
死んでいるという。逆に、山野さんは、50メートルの高さの木から、足をすべらして落下したのに
奇跡的に助かったことがある。大地にたたきつけられる寸前、枝がクッションになり守ってくれ
たのだ。

山野さんは、木の不思議なパワーをオカルト現象だと思っていない。
「夏の暑い日に、マツの木の下で休むと生気がよみがえったように清々しくなるでしょ。あれは
葉がオゾンを提供してくれるからですよ」(山野さん)

悪いのはむしろ、樹霊の声を無視して、森林を伐り倒していく人間のほうだ。と山野さんはいう。
「もう少し科学が進歩して樹霊が話すことばを翻訳できる機械ができたら、木が何を怒っている
かわかるでしょう」こう話す山野さんは、大部分の現代人がその能力失った木――自然と交信
できる、数少ない、“超能力者”なのかもしれない。

 木のたたりとは?

「山野さんが治療をする前に、手入れをした6人の造園師たちが、原因不明の事故で死んで
いるという」
――さて、これはいったいどういうことでしょう?

伐ったというならまだわかりますが、手入れをしたということです。その手入れの仕方がまず
かったのでしょうか? 木の機嫌をそこねた?
それにしても、そこからいきなり6人の造園師たちが事故で死んでいる、というのもなんだかよく
わかりません。もっと詳しい話がなければ、因果関係は不明です。

しかし、たしかに樹齢何百年、あるいは千年を超えた老木をむやみに伐採したことで、その
伐採者や関係者がなんらかの事故に遭ったという話は、一度ならず耳にしたことがあります。
ただそれも一次情報ではないので、都市伝説と区別がつかないのではありますが。

また、仮に因果関係があったとしても、それが伐られた木自体の仕返しなのかどうかはわから
ないでしょう。もしかして、その木をねぐらにしていた鳥の怨念かもしません。
というのは冗談ですが、もし本当に木のたたりがあるとするなら、それは木そのものの霊ではなく、
木に宿る一種の精霊ではないでしょうか?

もし木に意識(魂)があるとするなら、ほんらい木の魂は、傷つけられたからといって仕返しを
するような人間臭いものではありません。
もし仕返しめいたものがあったとするなら、それは木そのものではなく、樹木という生命体に
宿る低レベルの精霊だと考えるのが妥当です。
精霊でなければ、その木に関わった人の潜在意識にわだかまっている心の波動が、鏡のように、
樹木の波動に増幅されて自分に返ってきたのかもしれません。

 パワースポットと大樹のパワーの相乗効果

日本人なら、巨木が立ち並ぶ神社の境内に足を踏み入れれば、厳かな気配を肌で感じて、
そこがまさに神気のフィールドであることを知らされるはずです。
それは大樹のパワーです。

あるいは、神社というものはそもそもパワースポットに建てられるものなので、私たちが神域と
感じるのは、その場(フィールド)のパワーと、山野氏がいう巨木の癒しのパワーとの相乗の
パワーによるものでしょう。

 丑の刻参りの効果は藁人形を神木に打ち付けてこそ

さて、有名な呪法に「丑の刻参り」があります。
頭に被った五徳(鉄輪)にロウソクを立て、藁人形に五寸釘を打ち付けるというあのおどろおどろ
しいパフォーマンスですが、藁人形を打ち付けるのは、神社の神木と決まっています。
あれは、神殿の壁や柱ではなく、やはり神木に打つのがミソなのです。

神木に癒しのパワーがあるのなら、人を呪うなどという、ダークサイドに堕ちた鬼の心を癒やして
やってもよさそうなものですが、そうはいきません。

もし人を害そうというその呪いがかなうとするなら、神木は事の善悪を吟味するのではなく、それ
とは無関係にただただ、その念波を増幅するように働くだけなのでしょう。
それは、「潜在意識に善悪の判断はなく、ただそこに描かれた想念を実現するように働く」
といわれている潜在意識の特性と同じです。

そうです。潜在意識と樹木の魂は、人の念波を実現化させるということで共通しているのです。

 神木が感応するのはあくまで潜在意識の波動

ということなら、誰でも神木に寄り添って人を呪えば、呪殺でもなんでもできることになります。
いや、現実にはこれもそう簡単にはいきません。なぜでしょう?

樹木が増幅できる念波は、表面的な顕在意識の思いではなく、あくまで潜在意識の念波だから
です。「コンチクショー、あのヤロー死んじまえー」と思っても、それが表層意識の歯ぎしり程度
では効かないんですね。
樹木のパワーが共振できるのは、あくまで潜在意識の念波なのです。
そこではもはや確信化されている――、というよりは、既成事実のようになっていなければなら
ないのです。
イメージトレーニングでは、たとえばスポーツ選手なら、表彰台のテッペンに立っている自分の
姿を想像したりしますが、それが潜在意識ではすでに事実化している状態までもっていかなけ
れば効き目はないわけです。

あの丑の刻参りなどという、今ではギャグと紙一重の作法は、潜在意識にまで思念を浸透し
「成り切る」ためのパフォーマンスなのです。
照れちゃいけない。
コスチュームをまとうときから始まって、その気になる。
自己演出、自己催眠です。
「鬼気迫る」という言葉がありますが、その鬼気をみずから演じて鬼の心になるのです。
型で成り切り、心の奥底まで成り切るのです。

 願望実現はプラス(陽気)の丑の刻参りで

善悪無縁だということで、人の害を願う呪いが増幅されるのなら、自分を利する願望実現の祈り
にも使えます。ノロイの反語はイノリなのかもしれませんね。
ノロイなどという無益な執念にエネルギーを燃やすくらいなら、自分に益のある願望実現にこそ
イノリのエネルギーを使うべきです。

たとえば病気平癒の祈りも、「病気よ去れ」との念を潜在意識に刻んで、病気が消えたことがもう
既成事実のように思ってしまうまで藁人形を神木に打ち付ければいいわけです。
たんに軒端の笹の葉に短冊を吊るすよりは効果はあるはずです。

おっと…、これはたとえ話です。
頭にロウソクを立てて、丑の刻にこれをやれ、という話ではありません。
いや…、やれる環境にあるなら、やっても構いませんが。

雑多な想念に埋もれた日常生活のなかで、願望の思念を潜在意識まで浸透させるのは、
動物的でストレートな憎悪の念よりはるかに難しいです。
だからパフォーマンスの型から入れ、というわけです。

「お百度参り」というのはそういうことでしょう。
稽古を何度も何度も繰り返せば体が覚えるのと同じく、百回参詣しているうちに、ムリな願いも、
まるでそれが既成事実であるかのように潜在意識まで染みこんでいるという寸法です。
稽古が潜在意識に型を刻むのです。そのお百度参りで、深く染み込んだ潜在意識の念波を
発振しながら大樹に寄れば、念波は大いに増幅されるのです。

 神木の増幅力を機械化する

その大樹の増幅力というのは、波動の物理的なエネルギーです。
それを機械化し、潜在意識の思念の現実化力をアップさせようという目的で開発されたのが、
「テラフォースΩ」をはじめとした弊社の波動製品なのです。
その波動製品はみな、テラヘルツや隕石、磁石やクリスタル、特殊メビウスコイル、ライヒの
オルゴンボックスにヒントを得た異層金属複合体などが配された回路が内蔵されています。

イノリの火種を、現実の赤々とした炎に燃え上がらせる――、
原子炉ならぬ波動炉です。
〈了〉